今回は以下の記事を通して小さな子供を育てている家庭における実家との関わり方について考えます。
※記事では性別(祖母と祖父)の違いをポイントに展開されているため本記事とは若干視点が異なります
出所:PRESIDENT WOMAN
孫の顔を見せる=親孝行ではなかった?
「親にあと何回会えるだろう?」と考えたことはありませんか?
私がUターンを決めた理由のひとつが実家との距離です。
わが家は夫婦ともに車で通える範囲の距離にそれぞれの実家があり “ほどよい” 距離感です。このため2人の子供の成長を数か月に一度は無理なく見せることができています。
少しは親孝行になってるかな?そんなつもりでいた矢先、この記事にある「孫育て」が女性の幸福度を下げるというタイトルにドキッとしました。
親孝行と幸福度の低下にはどんなボーダーラインがあるのでしょうか。
実家までの距離とそれぞれの関係性
「親孝行」と「幸福度の低下」両親との距離で分けた場合、以下の3パターンが考えられます。
- 同居または同じ敷地の別棟
- 日帰りで行ける距離
- 遠距離(泊まりがけでないと行けない)
実家との距離が遠くなるにつれて “孫の顔を見せる=親孝行” の構図が成り立ちやすいイメージです。
これは、会える頻度が少なくなることでの希少性が一因かと思いますが、それ以上にわたしたち親が両親に孫のお世話を “依存” してしまうことが大きく影響するように感じます。
ポイントは重い責任が発生するかどうか
両親と同居している場合、当然孫と祖父母が一緒に過ごす時間が長くなります。つまり子供が小さければ小さいほど、わたしたち親が本来対処すべき安全や食事など基本的な生活への責任を自然と祖父母も負っているケースが多いのではないでしょうか。
特に乳幼児期の子どもは、日々の何気ない生活のひとつひとつが命の危険と隣り合わせです。食べ物でのどを詰まらせる、お風呂やトイレでおぼれる、道路に飛び出すなど、周りの大人は常に気を張っています。高齢な祖父母がその一端を担うことは体力的・精神的にかなりの負担であることは想像に難くありません。
私は次男の出産時、予定日の1か月前に妻さんが緊急入院となり当時2歳の長男を連れて実家へ駆け込んだことがあります。
当時を思い起こすと、入院は全くの想定外で平日だったこともあり長男を園へ迎えに行き帰宅した数分後には実家へ電話をしていました。
ありがたいことに当日から受け入れてもらえたことで、私自身は長距離通勤となったことを除けばご飯やお風呂などといった長男のお世話を心配することなく普段通り仕事を継続できたのです。その時、心から家族のありがたさを感じました。
しかしながら、長男との実家暮らしが1か月を経過したころ私は食事やお風呂が準備されることが当たり前となり長男の祖父母に対する態度も次第に変わっていました。慣れたといえば聞こえはいいですがそこには以前はなかった “甘え” がそこには確実に存在していたのです。
そのような状態が継続すれば、前述した子どもへのあらゆる責任を親へ頼りいつしか祖父母は孫と接する時間が “喜び” から “疲労” へ変化していくのかもしれません。
※決して同居を否定する意図はありません。あくまで私個人の経験談です
まとめ
孫に会って嬉しくない祖父母はいないと思います。特に子どもが小さいうちは成長のスピードも速いため可能な限り様々な表情を見せてあげたいですね。
ということで今回は地方暮らしにありがちな親との距離感について考えてみました。ご両親との関係について何か考えるきっかけになれば嬉しいです。
では、また。
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