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100万円も年収の安い転職先を選んだ理由

Uターン転職後3年が経過

Uターン転職で約200万円の年収減に見舞われてから早いもので3年が経過し、平社員からスタートしたのち少しづつ転職前の年収へと近づいています。
そんな現在に至るまでの道のりを振り返ると、内定獲得後の企業選びが大きなターニングポイントであったことに気づきました。

Uターン転職で企業を選ぶ際に気を付けたいポイント

Uターン転職で大幅な年収減は避けられませんでしたが、そのような状況でも特に気を付けたポイントは転職先の将来性(事業拡大に伴う昇給の可能性)と業務内容のミスマッチを避けることです。

2度目の転職活動で内定を頂いた企業はこんな感じ。

  • A社:非上場企業(資本金1億円以下、従業員数 約200名)  
  • B社:上場企業(現在の勤務先)。平均年収低めだが異なる複数の柱となる事業を持ちその一部が成長中。

これだけ見れば「そりゃB社を選ぶよね」となりますが、提示された年収は約100万円ほどA社が高かったのです。おまけに事務所も建て替えをしたばかりで新築のようにキレイ。一方のB社は事務所がかなり古く正直「ココで毎日働くのか…」と躊躇するレベルでした。

20代の頃の私だったら迷いなくA社を選択していたと思います。
しかし、当時0歳児の親となり転職は最後にしたいという思いがあったため目先の条件だけに惑わされず将来を見据えた選択ができるよう慎重に検討をした記憶があります。
その結果、事務所がボロくて低年収のB社を選択したのでした。

株式投資の知識が転職で役立った

株式投資を本格的に再開したのはこの2度目の転職後になりますが、それ以前にも国内個別株への投資経験がありました。素人ながら企業の基本的な情報を読み取る力がいつの間にか養われており、さらにバイヤーという仕事柄お取引先の企業へ訪問することが頻繁にあったことから事務所や工場を視る能力もそれなりに身についていたのです。お陰で勤務先を選ぶうえではかなり役立っていたのだと後になって気付いたのでした。

結局Uターン転職は正解だったのか

現時点では大正解。
Uターンした当時は大幅な収入減と産まれたばかりの子どもを抱え不安しかありませんでしたが、勤務先の人間関係や業務内容にも恵まれ想像していた通りの「地方で豊かに暮らす」生活を手に入れることができています。一番のネックだった収入面も、会社の業績が順調に伸びている関係もあり3年遅れで転職による年収の下落分を取り戻しつつあります。(前職で在籍し続けていた場合の昇給は考慮せず)
また、勤務時間もある程度コントロール可能なため、子どものお迎えをしても18時前後には帰宅できる生活に落ち着いています。

おわりに

金銭面に限っていえば前職の超大企業に居続けることで福利厚生(退職金を含む)などより豊かな生活ができていたのは確かです。ただ、当時の生活を思い起こすと在籍し続けることで私のサラリーマン人生はかなり辛い状況になっていたことは容易に想像できます。

死んだ魚の目をしながら定年まで働くことから抜け出したことが収入を補う方法を真剣に考える契機となり、その後の生き方を見直す大きなきっかけになりました。人間追い詰められないとダメですね。
当時は株式投資による配当金などで前職からの収入減を補填することが目的でしたが、現在では本業で一定の収入が確保できたため投資による利益はそのまま再投資へ充てることでFI(経済的自立)が新たな目標となりました。Uターン転職がなければそんなことを考えることもなく定年までサラリーマンを続けていたのではないかと思います。

過去の暗黒時代からここまで回復できたのは、年収減を受け入れてくれたパートナーや転職後に徹底した支出のコントロール、現在の職場環境など決して自分一人で手に入れた「いま」ではないことを改めて胸に刻んでおこうと思います。

では、また。

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嶺渡 岳(みねと がく)

3つの企業で購買職を経験。乾電池から石炭まであらゆる「買う」知識を習得。年間数十億の取引きで得たスキルを日常のお買い物へ活用する “おつかいの達人”。プライベートではUターン転職を果たすも年収200万減に。「貯蓄 ➡ 投資」を実践し年間100万円超えの配当収入を得る。50歳までにFI(経済的自立)を目指す。2児の父だがイクメンではない。

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